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井上雄彦に学ぶ

先日、NHKのプロフェショナル仕事の流儀で井上雄彦に密着取材をしておりました。
なんとなく勉強になったなぁってことを書きます。
井上雄彦に学ぶ_b0169374_819429.jpg

■褒めて伸ばす
「その絵を褒められたことがうれしくて
それが糧になってるって言うか
自分の中でやっていける電池みたいなね。」

この言葉はちょっと意外でした。
何かの使命感に駆られて書き続けてるって印象のほうが強かったので。

でも、やはりつらくても書き続けていられるってのは
褒められた記憶が支えている部分もあるのでしょうね。

因みに、絵を褒めた主は井上雄彦のおじいちゃん。

■所詮は一人の人間
「あの~、弱いじゃないですか。人は。
自分の家とか事務所だとかはやっぱり
自分のスペースなので楽しちゃうじゃないですか。
喫茶店とかに入って2時間なら2時間、
何ページ絶対やるぞって決めて追い込んでやらないとできないんで」

井上雄彦はネーム作りを喫茶店とかに入って行うそうです。
感覚としては受験生のファミレスに近いものだそうです。

一人の部屋にこもって黙々とやるってイメージだったのでこれも意外でした。
どんなにすごい人でも所詮は人間なんだなと感じた瞬間でした。
自分が弱いと知っているからこそすごい人間なんでしょうね。

また、自分ができる環境を整えるということは
すごく重要なことなんだということを学びました。

※ネーム・・・展開を考えて、こまをわり、絵のアングルやキャラクターの動きせりふなどを決めていくこと

■井上雄彦と桜木花道
「こいつのここが好きだな」

・上の写真の桜木花道がシュートフォームを撮ったものを見返している場面
・夜に人知れずボール磨きをしている場面

負けず嫌いなところが自分と重なる場面だそうです。

僕も上の場面は一番好きな場面です。
言われたことをただこなすのではなく、自らが上達しようという意識がはっきりと見えて
自分の歌を録音して聴きなおして試行錯誤する自分と重なる部分があるので。

■井上雄彦と宮本武蔵
「暫くわくわく感を感じてないかな
絶対いいものにしてやるっていう、負けん気だったりそういうので
なんとかやってる感じかな」

井上雄彦と宮本武蔵がばちっと重なった言葉でした。

大人になるとわくわく感を感じるのが減ってきちゃって悲しいですよね~。

■負けず嫌い
「負けず嫌いなんでしょうねぇきっと」

色んな場面で負けず嫌いという言葉が出てきました。

基本的に井上雄彦がマンガを作るスタンスとしては
真実を書く。嘘はつかない。
自分の奥を深く深く掘り下げ、真実を探す
登場人物を主体において、その人物に違和感のある行動はとらせたくない。自然な流れを大切にしたい。
といった感じが伝わってくる。

他人との競争というよりは、自分との戦い。

そんな中でもちょっとだけ負けず嫌いな部分が垣間見られた場面があった。

それは、伊藤一刀斎という登場人物についてネーム作りがうまくいかないときのこと
編集者がきて話し合いになった。

編「一刀斎が言うことをきいてくれませんか?」

井「いやちょっとうまくいかないということです。」

編「話をしてやろう見たいな感じで
  ひたすらそれこそ天狗のように話し続けるっていうのは?」

井「そりゃないだろうと思って消した線なんですけど・・・

  いやそれは楽ですけどね。

  なにがやりにくいかっていうと
  この人の格が下がる方にどうしてもいっちゃうんですね

  それを避けたいなと思ってやっているんだけど
  どうやっても下がっちゃうんで、それで困ってるんですよ。」

恐らく編集者の言うとおりにしてもそれはそれで自然な流れにはなったかもしれない。

でもそれでは自分の色がでないと考えたのではないか。
誰にでも考え付きそうなことはやりたくない。心のそこではそんなことを思ってるんではないか。

各が下がるというのは一刀斎のことではなく、実は自分のことをいっているのではないかと感じられた。

■プロフェショナルとは
「レベルは上がることはあっても、下がることはありえないと思っている。」

向上し続けることがどうかが、漫画家であり続けられるかどうかの一つの基準
というようなことを言っていました。

「漫画家をやり続けるために漫画を描くということは全くやる気はない。」
「手に負えないことをやる。」

世界一の職人・岡野雅行も「人がやらない仕事をやる」って
同じようなことを言ってたな~。


「僕はもういい人生だと思ってますよ、今死んだとしてもね」

言ってみたい言葉第1位。

■シャイであること
どうも井上雄彦を見ていると、松本人志とかぶって見える。髪形もそうだけど。
もっと、こう内面的に。
なんとなくしゃべり方とか人との接し方をみてると、あっこの人シャイだなって思います。

「結局自分のことを書くことになるじゃないですか
自分の思ってもいないことを正しいかのようには言えないじゃないですか
そうすると結果的には自分の一番奥にあるようなことを
引っ張りだしてくるしかないんで
1人のときしか本当のところは作れないって気がしてるんですよね」

あなたのことは否定しないんで、僕のことはほっといてください。
とりあえず意見は聞いてみますけど、あとは自分でじっくり考えさせてください。
みたいな??

シャイであることもマイナス面ばかりではないな。

■クリスチャニティを感じた瞬間
井上雄彦はクリスチャンではないでしょうが

バガボンドの一場面で
武蔵が「祈りたくなる」とつぶやく場面があるらしい。
これまで強い相手と戦い倒すことによって己の存在意義を見出してきた武蔵
しかし、僧沢庵と語り合ううちに天の存在に気づくという重要な場面。

また、井上雄彦が創作について語った以下の2つ
「自分自身が全知全能の神として作るっていうことよりは
行き着くとこはどこなんだとこっちが問うみたいな」

「常に彼らが僕の中に生きているわけではないが
僕が迎えに行って「どうですか?」ときいたら「そうだ」ってこと」

クリスチャンが神様に祈り、問い、答えを与えられる感じににてるかなと。

■最後に
この文章を書くときに井上雄彦の言ったことを
なんとなく同じこと言ってるなと思ったことをグループにして
書き出していったんですが

適当に並べてあるはずの文章がなぜか自然と繋がってしまう。

それは多分言ってることがぶれてないということだと思う。

by bbex51346 | 2009-10-07 11:20